職人かたぎ譚 
中野孝次著「光るカンナ屑」(小学館)より

連載 その4.

 腕の良い職人はよく休み時間に、こいつは義広のカンナだとか、この合せ砥は京都鳴滝産正本山の合せ砥だぜ、などと自慢しあう。それを見てて、いつか自分もああいう道具を持てる身分になりたいと、そればっかり思うようになったんだ。鳴滝正本山の合せ砥なんて恐ろしく高価なもので、職人の手間賃が一日八十銭のころに一本五円もしたものだというがね。義広のカンナといや当時一番の銘品で、実際そういう名人上手の作った道具は、切れ味といい風味といい、凡百の道具とはまるっきり使い勝手が違うんだよ。だからいい職人は三度のメシを二度に減らしても、そういういい道具を自分の道具箱に持ちたがった。道具をわが身より大事にし、もちろん人に貸したりなんかしねえ。道具を貸してくれなんていったらジロッと凄い目で睨まれるよ。
(中略)
 職人てものはふしぎなもんでね、そういういい道具を一つ自分のものにするだけで腕が一段ぐんと上がるものなんだ。道具が腕を上げるってこともある。腕が上がったからいい道具が欲しくなるってこともある。おれは何人もそういう職人を見ているが、極上の道具を持つと持たねえじゃ道具への扱いがまるで違うものだ。いい道具を持った物は道具負けしない仕事をするようになるんだ。
(中略)
 職人の腕ってものは斜めに少しずつ上がっていくんじゃなくて、階段を上がるみてえにあるときすっと段違いに伸びることを知っていたんだな。
 

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