職人かたぎ譚 
中野孝次著「光るカンナ屑」(小学館)より

連載 その3.

 小僧にとって 最初にやらされる一番つらい仕事は、しかしなんといってもまず下見板削りだな。長さ六尺、幅一尺、厚さ二分三厘の下見板。昔はどの家でも壁はみな本壁作りだったからその本壁の外にこの薄い下見板を張ったもので、坪当たり七枚張るとして、家全体じゃ何百枚、時には何千枚って数になる。これは大体が秋田杉の大きな赤黒い節のあるやつでね、こいつを削らされるのは腕のいい職人でもいやがったものだよ。骨が折れるだけで同じことのくり返しだからな。 
 だからそいつを小僧にやらせるわけだ。下見板を削り台にのせ、まずざっと荒シコをかけるんだが、荒シコは刃を余計に出しとくから、カンナの刃がその赤黒い節に当たろうもんならガッと食い込んで、力のねえ小僧には引ききれるもんじゃねえ。それでも左手をカンナの先にかけ、右手でカンナをしっかり抑えて、力まかせに引ききるんだ。これにはおれなんかもずいぶん泣かされたもんだ。
「新吉、おめえまさか踊りを踊ってるんじゃあるめえな。」
 なんて職人に嫌味を言われてね。
 口悔しいから意地で力まかせに削ってゆくってえと、手にマメは出来る、腕は痛くなる、あれがまあ大工修行の初めだな。
 しかしそうやって苦しんでるうち、カンナってものは腰で引くもんだってことがだんだんにわかってくる。腕や手じゃねえ、腰を据えて腰でひいてくもんだとわかってくると、あれほど大変だった下見板削りがようやく出来るようになる。大工仕事ってのは、カンナ掛けでもノコを引くんでも刃を研ぐんでも、全部腰に始まって腰に終わるものなんだ。そのことを下見板を削らせてからだで覚えさせるんだな。
(中略)
 年季奉公の間は飯を食わされるだけで、たまに小遣いをもらえるかどうか、決まった給料なんてものはねえ。休みは十五日と三十日の二日だが、小遣いで買い食いするくらいのもので、大した楽しみがあるわけじゃない、いまどきの子供にはとても我慢できねえだろうが、昔の人はそうやって職を覚えていったんだな。
 育ちざかりの体は、玄能で潰したり、カンナをがっしり握ったりしているうちに、手の関節も常人以上に節くれだって、見ただけでそれとわかる職人の手になっていく。無理を重ねるうち、腕にも肩にも背中にも必要な筋肉が堅くついてくる。そしてなによりも歩き方が違ってくる。きのう大工仕事はすべて腰が肝心だって言ったが、それが身についてくるにつれて腰がしっかりしてくるんだな。腰がふらつかなくなるっていうか、こう、どんな足場の悪いところでも腰の位置はピタッと決まっていてバランスが崩れない。職人はだから歩いていることろを見りゃわかるよ。
 そうなってくるってえともう、黙っていたってノミやカンナはしっかり研げるようになる。下見板だって日に百枚は削れるようになる。だいたい十五、六のころにはいっぱしの職人の体をなしてくるものなんだ。親方も小僧のその働きをみて小遣いをふやしてくれるようになる。

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