南極に行ってみたい!
  

 港に船が入りました。いよいよ乗船です。船はシーズン中、一航海を終えると1日で荷物の積みおろしを行い、翌日には出港するそうです。乗員やガイドさんはシーズンを終えると各地に散らばって別の仕事をするとのことで結構大変ですね。乗船後、避難訓練がありました。
航海中には思わぬアクシデントもあるんだと少し気が引き締まる時間でした。
 出航時間になりましたが船内放送で強風のため出港できないとのアナウンスがありました。最初から・・・。ところが30分後、風の合間を見て出港するとの連絡がありました。すでにその時には船は動いていました。以前説明で天候や状況に応じて日程はどんどん変更されると聞いていましたが、まさにその通りでした。

 ウシュアイアの町はどんどん離れ、風の強いビーグル海峡を通過します。ここでは水先案内人がいないと航行できないそうです。難しい海峡なのですね。ようやく南極に向かうため外海のドレーク海峡に出ました。風が強く、波が常に高い、時には氷山がすれ違う海峡です。オーシャンダイヤモンド号は大きな波しぶきを上げながら航行します。これから60時間の船旅です。


  

       

           
 大統領府やエビータのお墓、カテドラルなど定番コースを見学して、夜にタンゴショーを見学しました。見学には必ず現地ガイドが付きます。雇用対策とのことでした。時々ガイドの出来ないガイドさんも来るそうです。タンゴショーは生で見る男女のペアーの動きにびっくりすると同時に感動しました。こんなすごい動きが出来るのか、そして迫力のある歌、1時間半の時間が私には本当に短く感じられました。
 演奏しているバンドの中に日本人が居て、このブエノスアイレスに勉強に来たそうです。ラ・ベンタナは有名なタンゴショーの店で、ここで演奏出来るということは実力が無くてはならないそうです。頑張っているのですね。

 飛行機の旅はまだ続きます。今度はウシュアイアという世界最南端の町まで4時間の飛行です。風の強い町で時々着陸できないこともあると言われ不安にもなりました。しかしこの日は晴天で穏やかだったそうで無事着陸しました。 
 ウシュアイアの町は1月の平均気温が10度と肌寒く、日が当たらないときは上着が必要です。人口は約7万人、20世紀前半のほとんどは、凶悪犯を収容する刑務所の周りに発展していた所です。現在は避暑地として観光の町となっています。ウシュアイアには先住民族であるフエゴ人が住んでいましたが、イギリスの入植者によって持ち込まれた感染症によりほぼ全滅したそうです。つらい歴史ですね。
 船を待つ間に観光をしました。ここには世界最南端の鉄道が有り人気です。しかしこの鉄道も最初は囚人を伐採に従事させるため運ぶためのものでした。他にも美しい湖がたくさんあります


  

         




                     
  
 ツアーに参加するにあたって多くの書類が必要でした。申込書だけでなく事故があっても責任は自分で取るという誓約書、健康診断書、キャンプの申し込み、パスポート残存期間確認、アメリカを経由するためのエスタなどです。旅行準備も何が必要か、旅行社の指示もありましたが、自分がどんな南極観光を行うか。雪の場合や晴天の場合どのように対処するか、特にカメラをどのように保護し写真をどのように撮るかはずいぶんイメージしました。
 出来るだけ動きやすいように薄手でも暖かいシャツ、手袋帽子と実験しながら長い期間をかけて準備していきました。ただ南米アルゼンチンは夏で、気温が28度を超えているということで夏の支度もしなければなりませんでした。面倒ですね


 

 平成28年1月13日いよいよ出発です。重くなったスーツケースは空港に送り、自分はバスで成田に向かいました。ツアーリーダーとの打合せも済み機内へ。同行のメンバーは全部で7人。ビジネスクラスの人も多かったのですが自分はエコノミーです。
 ダラスフォートワース空港まで13時間かかりました。ここでは6時間の待ち合わせです。退屈なので空港内モノレールを2周もして空港の景色を楽しんだり、カフェラテを飲みながら携帯電話の充電をしたりして過ごしました。そしてアルゼンチンのブエノスアイレス空港まで9時間。やっとホテルに入ることができました。

 着いてからブエノスアイレスの街の観光がありました。夏の暑さが身体にこたえます。何と言っても日本は冬なのですから。カミニートはタンゴ発祥の地といわれ、カラフルで賑やかな町並みです。イタリア系移民の街は陽気で道路には雑多な露天が並んでいました。思わずキョロキョロしてしまいますが、添乗員さんから「お財布気をつけて!」とずいぶん言われました。(^^;)


  

       

 




 平成20年(2008)8月ハワイのマウナケア山にあるすばる望遠鏡内部を見学終了後のことです。外に出たところで一人の男性の研究者が小さな器具を操作していたので声をかけました。大気中に含まれる物質の測定をしているそうです。彼は「自分はいつか南極へ行って南極の大気成分を測定することが夢なんです」と話してくれました。
 私も今までぼんやりと南極ってどんなところなのだろう。行ってみたいなあぐらいの気持ちは持っていました。その時研究者が目を輝かせて話す南極の話は私の気持ちを動かしたように思います。自分でも行けるか?行って何が出来るか?南極を自分の目で見たら何を知ることが出来るか。気持ちは具体的に進み始めました。
 



 しかし日本は北半球、南極は南半球です。季節が逆転し日本の冬でなければ行くことが出来ません。長期の休みがなかなか取れない問題があります。しかも南極条約や日本の環境の保護に関する法律のためきちんとした国際南極旅行業協会に加入している業者を選ばなければならないため費用も高額になります。特に私のように英語が駄目という人は添乗員が付いてくれないと難しいのでなおさらですね。(^^;)
 結局退職後に行くと決め、その時を待ちました。ツアーを決めるとき、南極圏に入れる事、ボートで動物に近づける事、南極や島に上陸が出来る事を条件にツアーをさがしました。決めたツアーのパンフレットには、キャンプが出来る事や南極海への飛び込みもできるとあったのでこれも是非やろうと心に決めました。

               







 

 
  2016(H28).1 No.1