中には餌をもらえると思ったのかかなり近づいてきた猿もいてちょっとびっくりしたりもしました。
このエサ場は夏用のものだそうで、猿たちはそろそろ冬のエサ場に移らなければいけないとお父さんから聞きました。生きるために自分たちの群れで判断しなくてはいけないのですね。この群れはこの冬を乗り越えていけるのでしょうか?
下北半島の猿は昭和45年(1970)天然記念物に指定された頃は7~8群200~250頭ほどが居たそうですが、平成28年(2016)には70群2300頭を越える生息数となったそうです。そのため平成19年(2007)には絶滅危惧(ぜつめつきぐ)レッドリストから外(はず)れることとなりました。
でも猿の数の増加に伴って農作被害や家への侵入の被害が多発するようになり、現在むつ市では猿を有害鳥獣に指定して捕獲(ほかく)することも許可されるようになりました。このままでは被害は下北半島全体に広がる恐れもあるそうです。
村の人は「被害さえ出さなければ山に猿が100頭でも1000頭でも居ていい」と訴えるそうです。自然に生きる猿たちとそこに生きる人達が共存していく方法を見つけ出すことができればお互いに幸せな環境ができるのですが・・。
2016年12月、脇ノ沢にイギリスのテレビが取材に来たそうです。東北青森の魅力を紹介するテレビ番組の取材だそうです。北限の野猿も紹介されていました。良いチャンスになればいいですね。
北限の野猿の写真は脇ノ沢YHホームページで覧になれます。
野猿に会いに!
昭和49年(1974)冬、私は脇ノ沢を再び訪れました。北限の野猿に会いに来たのです。今回は猿に会うことだけを目標として来ました。私の話を聞いた大学の友人が行きたいと興味を持ったので二人での訪問になりました。
脇ノ沢YHを訪れるとペアレントのお父さん、津軽弁を話せるお母さんが私を覚えていてくれて歓迎してくれました。冬の時期ということで雪が積もり、道路は冷たい風が吹くことで凍っていました。
翌日私達は観察小屋のある九艘泊(くそうどまり)へ向かいました。道は海岸まわりと山側の遊歩道まわりがありますが、私達は遊歩道まわりを選びました。雪が深く股下まで沈んでしまう道を登るのは大変でしたが、情報通り峠のてっぺんで日本カモシカに会うことができました。

カモシカは興味深そうに私達を眺めてからゆっくり山の中に入っていきました。
観察小屋に着くとそこにはたくさんの猿がいました。雪の中を餌(えさ)を求めて歩き回っています。

なかなか愛嬌(あいきょう)があって可愛いものだなと1時間くらい眺めていました。
猿は賢いのか?
脇ノ沢YHのペアレントは年配のご夫婦で温かい人達でした。ミーティングの時お父さんがこの付近に生息する猿についてお話ししてくれました。お父さんは猿を観察して12年になるといいます。脇ノ沢の猿は世界の中でも最北限に生息する猿で海のカニや海藻(かいそう)も食べる珍しい猿だそうです。お父さん達は食料が少なくなる冬に餌(えさ)を用意して猿たちを観察し見守る活動を行ってきました。
昭和45年(1970)、北限の野猿は国の天然記念物に指定されました。雪が積もり森に餌が不足すると脇ノ沢の先、九艘泊(くそうどまり)付近の森に小さな観察小屋を建て周辺にりんごなどを置いたそうです。
ある時、観察している猿に賢そうな行動をする猿がいたので実験をしました。小さな小屋を建て中にりんごを置き窓を開けておいたらどうするかを調べました。他の猿は警戒して窓から中へは入らなかったり、入ってもひとつりんごをつかむとすぐに外に逃げていく様子が見られました。
例の賢そうな猿がやってきました。彼はすぐ小屋の中に入りました。しばらくするとなんと窓からりんごが数個飛び出てきたそうです。お父さん達はなんて賢い猿だろうと感心したそうです。ところが投げ出されたりんごは他の猿がみんな持っていってしまいました。小屋の中から出てきた彼はしばらく小屋のまわりを探しましたが、りんごは見つからずとぼとぼと山へ帰って行きました。あの猿は賢いのかそうでないのかはいまだ謎だそうです。

このときは次の日程があったため猿を見学することができませんでした。いつか必ず猿に会いに来ようと心に決めて私は次の宿泊地へ向かったのでした。
旅の終わり近くになると友人との間で気持ちのすれ違いが生じました。今までは不安もありお互いを頼りながら行動を共にしていたのですが、自分一人でも旅ができるという自信がお互いについてきたのだと思います。それぞれが自分の行きたい方向へ動き始め一人旅になることが起こりました。でもそれは今考えればお互いが成長し自立し始めたのではないかと思います。
スタンド・バイ・ミーという映画がありました。少年達が旅を通じて成長していく姿を描いたものです。
「stand by me」は私のそばにいてとか、私を助けて下さいという意味があります。私と友人は助けてもらわなくてもやっていけるぞという自信をつけ「stand by me」から卒業していったような気がします。
その後、友人とは別の行動をしてそれぞれが自分で決めたコースで旅を終えました。
とても大切な旅でした。
H30(2018).3

平成30年(2018)1月、下北半島で数多くの野生の猿が電線を伝(つた)わり移動していく姿が報じられました。この猿たちは電線を伝い川の向こう岸から来たのではないかと言われています。ツイッターに投稿(とうこう)された映像は100万回の再生数となったそうです。
私は学生時代に下北半島の賢い猿の話しを聞き実際に会いに行ったことを思い出しました。あの電線の猿たちは私が会った賢い猿たちの子孫なのでしょうか。進化しているんだととても親しみを感じました。

青森県下北半島には北限の野猿(やえん)が生息していることで知られています。霊長類(れいちょうるい)では人間の他にここより北に生息するものはいません。そのため下北半島の猿は国の天然記念物となっています。私は大学1年生の夏に友人と下北半島を訪れ、この猿たちを知ることができました。
昭和49年(1974)夏、私は高校時代の友人と東北一周の旅を計画しました。東北周遊チケットを2枚重ねて購入して18日間にわたる長い旅程を組みました。私にとって初めての長い旅行のため不安もあり、友人と一緒に行くことでそれを乗り越えようとしていたと思います。
旅行は猪苗代湖をスタートとして東北地方を気ままに回りました。

その旅の半ばで私達は下北半島の脇ノ沢YH(ユースホステル 青少年の安全で簡素な旅行を支援する宿泊施設)に泊まりました。YHには私達を世話するペアレント(親)と呼ばれる施設のスタッフがいて家庭的な雰囲気で迎えてくれます。でもYHの中には若いスタッフが起床の合図に大きな音楽を流し、湖の畔(ほとり)までみんなで走り体操をするような所もありました。またお寺の宿泊施設や廃校になった学校の施設などもあります。夜にはミーティングと呼ばれる自己紹介や歌、レクなど若者たちの交流を行い楽しさも味わえるのでした。
