この後「着替えと化粧を行いますのでひとまず別の部屋でお待ちください」と男性納棺師の方に言われ一同は部屋を出ました。あんなにきれいにしてくれて良かったねえと叔母達が口々に言っています。叔父の中には俺もあんな風にやってもらいたいもんだなあと本音とも冗談ともつかない言葉が聞こえました。
しばらく後、再度部屋に呼ばれました。布団の上には白い装束が着せられ生きているような顔色の叔父がいました。叔父はみんなの手で棺(ひつぎ)に納められ、なんだかほっとした様に感じられました。続いて死に装束(しょうぞく)と呼ばれる頭巾(ずきん)、手甲(てっこう)、脚絆(きゃはん)、足袋(たび)、草履(ぞうり)などが家族、親戚の手で叔父の身体に次々にあてられます。
一通りの作業が終了すると小さな巾着(きんちゃく)に六文銭(ろくもんせん)に模(も)したものを入れ、杖が横に置かれました。本当に丁寧にひとつひとつを行うんだなと感心しました。
さらに二人の納棺師は綿花を使って遺体の上に羽織袴(はおりはかま)に似せて装飾を施しました。私はなんて美しいんだろうとその技能に感動しました。

すべての作業が終了したところで私は女性納棺師の方に声をかけました。丁寧な洗浄や美しい装飾に感謝やびっくりしたことを伝え、「お若いのですがなぜこのお仕事に就(つ)かれたのですか」と訊(たず)ねました。彼女は「私の父が亡くなったときに納棺師の方が父を本当に大切に扱ってくれ葬儀へ送り出してくれたのを見て私は感動しました。そのことでこの仕事に就きたいという思いになり、迷わずこの仕事を選びました」とお話ししてくれました。
以前、映画「おくりびと」を見たときこんな仕事があるんだと気づかされました。納棺師の歴史は意外に浅く、1954年に起きた青函(せいかん)連絡船の洞爺丸(とうやまる)沈没事故以後からだそうです。多くの死者を弔(とむら)うため関わった人たちが納棺の仕事を始めたということでした。当時は死者を扱うことで差別も多かったそうです。
しかし納棺の仕事は必要とされ、引き継がれる中で葬儀の伝統と家族の心の痛みに寄り添うことで精神的な文化も育(はぐく)まれました。今回私は本当に感動的な場に出会えたんだと思いながら叔父を送ったのでした。
H30(2018).6
納棺師(のうかんし)
先日母方の叔父(おじ)が亡くなりました。若いときから「べらんめえ」調の人で威勢(いせい)がよく、私は大きな声でいつも呼ばれてからかわれていました。でもそんな叔父は子供にはやさしくひょうきんなところもあり憎(にく)めない人でした。
通夜(つや)の日の午後に納棺の式があるということで私は葬儀場の方へ行きました。しばらく待つと納棺の儀(ぎ)が始まるので家族、親戚(しんせき)一同が小さな部屋に呼ばれました。入っていくと人の身体より少し大きめの四角い湯灌(ゆかん)用のバスタブが用意されていました。叔父の身体はバスタブに張られた幅の広いベルトと網の上に乗せられ、バスタオルが掛けられています。私は今までの葬儀で湯灌と言いえば布団に寝かされた身体の足近くを布で拭く形式的(けいしきてき)なものしか立ち会ったことがないので意外に思いました。
そこには年配の男性納棺師と20代前半の若い女性がいました。挨拶(あいさつ)の後、家族、親戚一人一人が順番に泡だてたタオルで故人の足首や足指を洗うように指示されました。私はずいぶん丁寧(ていねい)なやり方だと感心していました。全員が終わった後、男性の納棺師がこれから全身の湯灌を行いますと言ったのでさらに驚きました。ここで全身を洗うんだとバスタブがあった理由が分かったからです。
正面に女性が座りました。その女性は水の温度の話をしました。「本当は暖かいお湯で洗ってあげたいのですがご遺体の状況も考え、温(ぬる)めのお湯を用意してあります。」バスタオルにシャワーで十分水をかけると女性はバスタオルの下で足の方から洗浄を始めました。この人も納棺師だったんだ。私は驚きました。その洗う仕草(しぐさ)は滞(とどこお)りなく丁寧で叔父を大切に扱ってくれていると感じました。
その間、男性納棺師の方は頭髪を洗い顔のひげをそっています。二人の動作がまるで能(のう)を舞っているように思えるほど優雅(ゆうが)で息が合っていました。私はここが死者のいる場と思えないぐらい感動していました。バスタオルが身体を見せないように替えられ洗浄が終わり、乾いたタオルで身体を拭(ぬぐ)って終了しました。親戚の皆さんも一様にため息が漏れるのでした。
