山頂に着いた頃から私は頭が重いような胸がむかむかするような不快な気分になっていました。高山病かなと少し不安な気持ちになりましたが、南アルプスの北岳(3193m)に登ったときもそんな感じはなかったので少し休めば治るだろうと思いました。持ってきたおにぎりを食べ、水を飲んでも治りません。むしろ胸騒ぎがするような不安な感じが増してしまいました。この感触は以前に北海道の大雪山で熊の気配を感じたときの気持ちに似ていました。
 私はこの日、富士山頂火口を一周するお鉢周(はちまわり)りをして下山する予定だったのですが、残念ですがやめてすぐに下山を開始しました。下山路は途中より山小屋のある道からそれて、吉田砂走りと言われる道に入るように計画していました。砂走りは砂が多く、足踏みするような歩きでどんどん楽に下山できるからです。



 下山路ではいくつかの出会いがありました。砂走りに入る少し前に老夫婦から砂走りへの道を聞かれたのです。私は説明が終わると「先に行きます気をつけて」と挨拶をして自分のペースで砂走りに入りました。その後6合目付近で転んでしまった子供を見つけました。すぐに水で血がにじんだ手を洗い、砂の入ってしまった口をゆすいであげました。「少し休んでから行った方がいいよ」と声をかけてから私は下山しました。
 五合目の道に入り、レストハウスを過ぎて自分の車まで戻った時です。パトカーと救急車がサイレンを鳴らして上がってきました。それも何台か続けて来るのです。大きな音がするので上空を見上げるとヘリコプターが飛んで行くではありませんか。何かあったのかなと心配な気持ちになりました。その頃には私の頭の重さや気持ちの悪さは無くなっていました。
 私は車内で帰り支度をしながらラジオをつけてみました。すると臨時ニュースのような放送が聞こえました。
 「富士山吉田口登山道の砂走りで大きな落石事故があった模様です。死傷者が多数出ているとの情報が入っています」
 私は心臓がどきどきしました。吉田口砂走りといえばたった今私が帰ってきた道ではありませんか。しかしニュースはそれ以上詳しくは伝えられませんでした。その後その落石事故は死者12名、負傷者29名にも及ぶ国内の落石事故史上最悪の惨事となりました。



 後日、ニュースで落石事故に出会い無事に生還した家族の話が新聞に載りました。父親は家族を自分の後ろに一列に並ばせ、先頭で指示を出して時速100キロで迫り来る落石をよけたそうです。少しだけ気持ちが救われる話でした。
 しかしあの日、私が途中で道を教えてあげた老夫婦、転んで手当をしてあげた子供がどうなったのか本当に気になりました。私が教えたり休憩するように伝えたことで事故に巻き込まれていないだろうかということは、何年たっても忘れられない記憶となっています。

 
      
                        
   H30(2018).11

  富士山

 いつの季節にも美しい富士山があります。この山に登ってみたいと思う人はたくさんいます。私も同じでした。



 昭和55年(1980)8月14日早朝、私は富士山の5合目駐車場で登山準備をして一人で歩き始めました。日帰りの登山のため荷物を減らして軽装での歩きでした。レストハウスなどがあるにぎやかな場所を過ぎて登山口まではゴロゴロ石の道が30分ほど続きます。人も多く人気のコースでした。
 私は学生時代、富士山に登ったことがありますが、その時は早い雪に出会ってしまい八合目あたりで引き返してきました。今回は山頂まで行くことを目標にして歩き出したのですが、いつもの癖で少し早足で歩いてしまうのでした。
 それは登山道に入ってからも同じでやや速いペースで登っていきました。最初は樹木もありましたが、すぐに低い灌木(かんぼく)となり、やがて草地から砂地へとなりました。気温も高く汗がどっと出てきます。50分ほど歩いて10分の休憩リズムで登っていきます。
 富士山7合目あたりからは山小屋も多くなります。登山道はその山小屋前を通りながらジグザグに登っていき道は岩で作られた階段が多くなりました。そのため休憩をしている人も多くなっています。私は先行者を追い越しながら登り続けやがて山頂付近になりました。



 山頂付近でふと登山道の横を見ると火口壁の外側に少しせり出した岩場があるのに気がつきました。富士山にはこんな岩場もあるんだなあと少しびっくりしました。そういえば登山道途中には大きくくぼんだ場所もあり、あらためて平(たいら)に見える富士山も近くで見ると結構凹凸(おうとつ)のきびしい斜面なんだと感じました。昼頃ついに登山道は終了し火口のふちに到着しました。
 そこにはいくつかの建物と久須志(くすし)神社がありました。防風対策のため建物の屋根には大きな石がたくさん置いてあります。久須志神社は山頂の小屋と同じ外観ですが、小屋の中に富士山本宮浅間大社の末社として大名牟遅命(おおむなちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)を祀(まつ)っています。
 大名牟遅命は大国主命(おおくにぬしのみこと)の別名で日本神話の神で少彦名命はその協力者だそうです。日本国を作った神として富士山頂に祀られているのですね。無事に登れたことを感謝しました。でも・・