平成27年(2015年)3月、教員としての長い年月を終え退職となりました。子供達と過ごしてきた日々は充実しており、悔いはありませんでした。そして私には体操協会での活動が継続してあったので退屈することなく日々を過ごしています。ある日、体操部卒業生から声がかかりました。私の退職祝いの会を開いてくれたのです。その席に着くと一緒に器具を直したり集めたりして練習や遊びの日々を共に過ごした仲間の顔がたくさんありました。
       幸せでした。

  







     
 この頃私は結婚をしました。その結婚式当日の会場には100名を越える生徒・卒業生がお祝いに来てくれました。予定にはなかったのですが式場の方が気を遣ってくださり子供達を式場内に入れてくれたのです。たくさんの花束をもらったりクラッカーも打ち鳴らされ、会場にいる親戚や来賓の方々はびっくり!私達も一生忘れられない結婚式になりました。みんなにたくさん感謝をした一日でした。

  

 しかし公立学校の常で私も転勤の時を迎えました。次の顧問がいるときには任せることが出来るのですが、その頃体操部を存続させることがとても難しくなってきていました。危険で指導が難しいというのがその理由です。私は転勤先で体操部を作り、残った体操部員を自分の学校の部員と共に日曜日や夏休みに指導をしていました。しかし限界もあったので、その頃体操協会の設立ができたため子供達に体操協会に入ってもらい協会の練習という形で夜間に指導を継続しました。それは卒業までなんとか体操が続けられるようにとの思いからでした。

 月日は流れ相模原市では体操部の新設が困難となりました。顧問が転勤すると廃部となってしまい市内体操部は私立中学校の2校のみとなってしまったのです。私も転勤先では体操部が作れず他の部活動顧問となりました。しかし以前に作った体操教室は30年以上続けており、そこが私の大切な子供達との出会いの場となっているのです。そこに来てくれる指導者達は私と一緒に体操の練習をしてきた体操部員もいます。

        


 私は先輩や他校の先生方から指導法を学びながら毎日子供達と過ごし気がつくといつも学校にいたように思います。練習ですが休日には体操の上手な学校に練習に出かけ、お手本となる選手達の練習を見せながら指導します。そのため高校での練習もたくさんさせて頂きました。
 学校での体育館の練習は3日間しかないため卓球部顧問の先生にお願いして体育館半分の使用面を4分の1づつにしてもらい狭いのですが5日間の練習にしました。日曜日もいれると6日間です。残った木曜日には外にブルーシートを敷きマットや平均台を運んで練習しました。雨の日には木造校舎にマットを運び廊下で練習しましたが、古いため練習中に床板を突き破ってしまい用務員さんに謝って修理をしてもらいました。ありがとうございました。(^_^;)

  

  体操部にはいろいろな子供達が入ってきます。中には鉄棒にぶら下げてもらったのに何も出来ずぶら下がったまま大声で泣いている子がいたり、身体が硬くてブリッジもできずとてもバク転などできないなあと思っていた子が3年時には宙返りや車輪をやるようになりました。女子ゆかの伴奏音楽が必要となり、クラスのピアノが上手な子にお願いして連弾で曲作りをしたこともありました。

 この体操部員と一緒の目標に向かって練習しているときは本当に楽しくて楽しくて仕方がありませんでした。練習時間外でもゴムボール野球をしたり缶けりなどをして楽しみました。夏休みには練習終了後にアイスを食べたり、プールに入ったりして一日中楽しみました。部員は私の自宅にも遊びに来てくれ思い出深い仲間達でした。その体操部はいつしか相模原市や他の大会でも団体や個人で優勝したり上位入賞するようになりました。関東大会に出場した時にはみんなで喜びあい大いに自信になりました。



     








              
                        
   H27(2015).3

 体操部との出会い

 昭和53年(1978年)中学校に赴任した私は体操部の顧問を任じられました。その頃市内中学校で体操部のある学校は10校程度でしたので偶然とはいえ顧問になれたことは幸運でした。体育科の先輩が顧問としていらっしゃいましたが、移動も近いとのことで半年ほどの引き継ぎ時期が過ぎると私に全ての指導を任せてくれました。
 私が初めて体操部の生徒と会った日は、入学式とは違う嬉しさがあったように思います。同じ体操をやっている仲間とでも言うのでしょうかとても親しみを感じました。古いかまぼこ形の体育館はバスケットコート1面がやっとの狭さです。その体育館の半面でマットを敷いて練習をしていました。
 みんなと挨拶を終えて様子をしばらく見ていると、器具が使用されていないことに疑問を持ちました。そこで2年生に聞いてみると鉄棒はさびて片方の支柱が抜けないとのことで体育館の入口横に立てかけてありました。平均台が低いのは穴に入れる留め具がなくなってしまったからだそうです。エバーマット(厚みのあるスポンジマット)はふにゃふにゃで真ん中がへこんでいます。そうか…。

 私の最初の仕事は鉄棒の支柱を引き抜くことから始まりました。用務員さん(最近では技能員さんと呼びます)にお願いして留め具の代わりになる鉄の棒を差し込んで平均台を高くできるようにし、跳び箱のわたが飛び出した頭の部分にテープも張りました。エバーマットをふくらませるために布団屋さんに行って廃棄するマットレスのスポンジを集めて中に入れます。また子供達と一緒にリヤカーを引いて近くの車修理屋さんにタイヤをもらいに行き地面に半分埋めて鞍馬の旋回の練習ができるようにしました。子供達と一緒に用具の準備や修理をする事が日課のようでした。