帰国をする前に妹の家族と分かれてナイアガラへ行きました。着いた翌朝、散歩がてらナイアガラの橋を歩いているとそこはカナダとの国境の橋でした。よし自分達で国境を越えてみようと入国審査を受けてカナダ側に渡りました。手続きは簡単でお金を払うとすぐに入国できました。カナダ側からの滝を見てホテルに帰りましたが、その後案内の方が来られて私達は再びカナダへ渡るのでした。でも自分達で国境を越えるという小さな冒険は思い出に残りました。(^_^)v

 いよいよ帰国です。こんなに長く家を空けたのは学生時代以来です。飛行機は往復妹が予約してくれたノースウェスト航空でした。日本人スチュワーデスはおらず、大きな身体の女性が「ティー? カフィ?」と大きな声で聞くので母は旅行後も怒鳴られているようでこわかったと思い出話をするのでした。我が家に帰ってみると軒下の物陰でネコが子供を産んでいてニャーニャー賑やかになっていてビックリでした。貴重な体験をたくさんしたアメリカ旅行でした。












          
  旅を終えて

 これらアメリカでの生活は19日間におよびアメリカの日常の姿も見られました。特に広さや大きさについては本当に感心しました。ドライブにも慣れ運転も楽しかったです。英語は通じなくても身振り手振りでなんとかなると言うことも分かりました。
 私達の英語力は大したことはないことも分かって苦笑いでした。みやげ物店で袋に入れてもらおうと「パックプリーズ」と言うと変な顔をされたのであれっと思っているとしっかり箱詰めをされた土産を渡されました。パックではなくバッグと言うことを後で知りました。こんなことはいっぱいありました。
 ガソリンスタンドはセルフスタンドが多く、日本では珍しいものでした。自分で入れるというのは何だか楽しかったです。田舎のスタンドでガソリンを入れた時です。店のおじいさんが「どこから来たのかい?」と聞きます。私達が聞いてもなまりのある言葉なんだろうと想像できました。発音がずいぶん違います。「フロム ジャパン」と答えるとおじいさんは昔神奈川にいたと言いました。驚いていると「ウォー」という言葉が聞き取れました。きっと戦争で日本にいたことがあるのかも知れません。おじいさんはしわだらけの手を振ってお店に入っていきました。こんな田舎から日本との戦争に行ったんだと複雑な思いがしました。



       
 
  イエローストーン
   
  
 目的地のイエローストーンには3日目の夕方に着きました。キャニオンビレッジフロントで手続きを済ませると車でキャビンに向かいます。森の中の独立したログハウスは周囲になじんでいてほっとできます。夕食は車で移動してレストランで食べます。注文を終えて待っているとき隣のテーブルのご婦人がウエイトレスさんに「これは私の思っている味ではない。料理を変えてくれ」と言っていました。アメリカってそんなことも要求できるのかとびっくりしました。後で聞くとヨーロッパからの旅行者のようでした。
 同じウエイトレスさんが私達の所に来たので大変ですねと声をかけると彼女は本当にというような顔をしてうなずいていました。でも料理を置いて笑顔でエンジョイ!と声をかけていく姿はアメリカ娘らしいなと感じました。
 翌朝子供達と散歩に出てみるとリスや鳥が木立を動き回っています。ふと離れたところを見るとなんとバファローが砂浴びをしています。近寄らないようにしてみんなでそっと眺めていました。こんなに近くに動物達が息づいているんだと嬉しくなりました。しかし一部増えすぎた鹿は森林の生態系を壊してしまうため、人によって絶滅させられたオオカミを復活させる計画も進んでいるそうです。

 

イエローストーンでは森の中を歩いて滝を見学したり、有名な熱水の間欠泉オールドフェイスフルを見たりしました。母は流れる熱水を見て温泉がこんなに流れているのにもったいないとつぶやいていました。(^_^;)
 私が一番やりたかったことはフィッシングでしたがボートでの釣りは竿を子供達に取られてしまい私の釣果は1匹だけでした。(-_-;) その時案内してくれたドライバーさんは私と同じ教員だということを知りました。アメリカの教員は長期休暇中には給料が出ないためアルバイトをしているそうです。大変なのですね。

       
  ドライブ旅行 
 
 今回の訪問では2家族で車での旅行を計画していました。2台の車に乗っていくのですが、私と妻は英語が話せないので、妹と私、妻と妹のご主人と子供達が分かれて乗りました。出発!すぐに高速道路に乗りました。高速道路は無料です。休憩はインターチェンジを降りてマクドナルドなどの店に入って休みます。途中に少しだけレストハウス(トイレなどの休憩施設)がありました。高速道路の両側はコーン畑と牧草地が続きます。2時間経っても4時間経ってもずっと同じ風景です。少しの変化はインターチェンジぐらいのものでした。
 大変なのはバッタです。周りが牧草地のため大量のバッタが飛んでいます。車のフロントガラスはぶつかってくるバッタのためどんどん汚れていきます。休憩するときにはガラスを清掃することが必要でした。レストハウスで昼食を取った後、子供達が近くの草むらに入って行きます。枯れた草には実がたくさんついていると思っていたら子供達の動きに合わせて実が一斉に飛んでいきます。バッタなのでした。すごい。



1日走って夕方に(といってもまだまだ日は高いのですが)やっと小高い丘のような山が見えてきました。何という広さなんだろうとため息が出ました。久しぶりの違う風景にみんな喜んでいます。バッドランドという鋭くとがった岩がたくさん見られる所でした。
 その日は暗くなってから町に着いたのですが電灯もない真っ暗な高速道路を運転している時にはかなり緊張しました。先行する車が見えなくなると本当に真っ暗闇です。昼間いろいろな動物の死骸が道路脇にありみんな飛び出してきてぶつかったものだと教えてもらっていたから「出てくるなよ」と祈りながらの運転でした。宿泊はモーターホテルのようなところもありますが、ビジネスホテルのようなところが中心でした。小さなプールもあります。子供達は喜んでいました。私もです(^_^)v







          











 アメリカの生活

  夜8時になりましたがすごく明るく、どうして暗くならないんだろうと不思議に思いました。ミネアポリス8月の日の入りは8時半頃だそうです。住民は5時に退社すると日の沈むまで庭仕事やスポーツ、中には車を自分で作っているという趣味の方もいました。
 朝6時に目覚めるとすでに日は昇っています。今日はモールオブアメリカというショッピングセンターへ買い物にでかけました。着いてみると巨大なショッピングセンターでした。駐車場は屋内、屋外に2万台分あるそうです。中へ入るとジェットコースターが走っています。屋内遊園施設には20以上の乗り物があり私の子供も空中ブランコを楽しみました。
 その遊園地を囲むように4階建ての通路には500以上のお店があるそうでとても1日ではまわることができません。水族館にも入りました。カードで支払いの時サインを求められたので漢字で名前を書くとビューティフルと言われてびっくり。字がうまくないとよく言われていた私はアメリカ人が好きになりました。



 スーパーマーケットに入って一つ一つの物が大きいことにまたびっくり!ショッピングカートも巨大で少ない買い物では恥ずかしい気がしました。牛乳がガロンという単位で売られています。上の棚から物を取るのには脚立(きゃたつ)に登らないといけません。上ばかり見上げていたような気がします。なんだか自分が小さくなったような気がしました。

 アイスクリームを食べたときにもびっくり!これでもかと言うほどカップの上にアイスが載せてあります。アメリカでは量が少ないとサービスが悪いと判断され、お客さんが来なくなってしまうそうです。すごい量のアイスやフライドポテト、ポップコーン、そして食事はそのせいなのですね。食べきれません(-_-;)
 小さなショッピングモールに行ったときに本屋さんがありました。中で本を見ていると年をとった女性店員さんが「~ help you?」と話しかけてくれました。本を探すお手伝いをしましょうかと言ってくれたのだと気がつき「 Thank you  looking」と笑顔で答えました。「OK looking」と手を振って離れていく姿を見てこういう親切は日本と同じだなと感じて嬉しかったです。




           







              
                        
 初めての海外旅行

 平成8年(1996年)8月アメリカに住む妹の家が新築されたことがきっかけとなり家族で訪問することになりました。私にとって初めての海外旅行です。40歳を過ぎての初海外旅行はちょっと冒険でした。何よりも国際免許をもらってきて欲しいという妹からの要望があったからです。アメリカで運転?本当にどきどきしました。
 ミネソタの空港に着き入国審査を通るときが大変。何を聞かれているのか分からず困っていると「観光ですか?」と審査官が日本語で言ってくれました。きっと真っ白なパスポートを見て気を遣ってくれたのでしょう。私は笑顔で「yes」と答えたところ通過させてくれました。一緒にいた母は「はいそうです」と日本語で答えていました。
 空港には妹が迎えに来てくれていたのですぐに車に乗り自宅のあるミネアポリスに向かいました。途中の高速道路は広くこんな所を運転するのかと不安になってしまいました。しかも右側通行です。(-_-;)
 ミネアポリスは中心街のダウンタウンを離れると突然広々とした草地と池や湖がたくさん見られるようになりました。この土地を開発して埋め立てて住居地を作っているとのことでした。すでに建っている家の庭は垣根がなく青々とした芝生に覆(おお)われています。この芝生は緑色にしっかり管理されていないと家の住人の生活状況が悪いと判断されるそうです。たとえば茶色に枯れた芝生は離婚でもしたのだろうとか思われるそうです。緑を保つためには2~3日に一度は必ず散水しなければなりません。芝刈りも休日ごとにやるとのことで管理は大変です。



 着いた家は広く車は家続きの大きな車庫に入れます。冬場は零下30度にもなるとのことで雪も多く、車を守るためや安全に荷物を積みおろしするために必要な施設なのだそうです。広い土地と家なのでずいぶんしたろうと思っていましたが日本の半額から3分の2程度の費用で買えるそうでうらやましかったです。でもマイナス30度はちょっと・・・。街を走る車は日本車も多く、妹の家の車も日本車でした。日本車は故障が少ないとのことです。冬場に外で故障すると命に関わることもあるので安心のため日本車を購入する人は多いそうです。

         

                               

 H8(1996).8