私達は地下から階段を上がってロビーに出ました。そこには大勢の人が動いています。「あーみんな生きてるよ!」そんな感想が出てしまうのでした。友人が「飯食ってかない?」と誘います。ちょうど昼頃になるので私は賛成してラーメン屋に入りました。
 実習の話をしながら待っているとラーメンができあがりました。あまり食欲が湧かないのですが、いい臭いに誘われて口を付けようとした時に友人がチャーシューを箸(はし)でつまんで言いました。「これ何の肉片だろう?」「・・・・」私は実習室を思い出して固まってしまいました。「あれ?チャーシュー食べないの?それじゃあちょうだい」友人はその肉片を私のどんぶりから取ると口に入れてむしゃむしゃと食べるのでした。
       (-_-;)

 

             
 友人の言葉は・・ 

 実習終盤になるとその雰囲気にも慣れて気軽に質問をするようになります。私の隣にいた友人が「先生、顔はないんですか」と言うと「あるよー」と教授は簡単に答えて台の下から取り出しました。それは目と頭部の無い人の顔半分でした。頭がくらくらするような気がしました。すると友人は「心臓も見たいんですけど」と言います。教授は「いいよ」と腕を台の下に入れます。
 何かの器(うつわ)の中には握りこぶし大の大きさの図鑑で見たのと同じ形の心臓がありました。太い血管がにょきっと4本出ています。こんなに血管が太いとは思いませんでした。その時ふと器に毛が生えているのに気がつきました。えっ・・・? それはなんと人の頭部だったのです。切り取られた頭部を器にして心臓が入っている。めまいがするようでした。みんな声もありません。時間がどれだけたったのか分からないぐらいすごい緊張した時間でした。

 最後に遺体に一礼してシートがかぶせられるとほっとした雰囲気がただよいました。授業終了後、私は先生にガラスケースの中に展示されているホルマリン漬けになっている臓器(ぞうき)などを見ても良いか聞きました。許可が出たので端から見ていきます。
 心臓や腎臓、腸のようなものもあります。友人も興味深そうに一緒に見ていきます。ケースの最後の方に大きな瓶(びん)の中に浮かんだ小さな赤ちゃんを見ました。私も友人も言葉がありません。教授が「生まれていれば君たちと同じ年齢かもしれないね」とつぶやきます。本当にかわいそうだなと胸が苦しくなりました。



          
 そして教授がシートをはがします。その瞬間私は何が目の前にあるのか分かりませんでした。身体のようなのですが不自然なのです。はっと気がつきました。首が無い。人の身体なのに首から上がありません。だから最初身体だと分からなかったのだと思います。じんわりと汗が出てきたように感じました。女の子達は小さく「きゃー」と声を出していました。その遺体の皮膚の色は少し緑がかったグレーの濃い色のようでした。
 すでに遺体は胸や手足の皮膚が切り開かれているのです。教授は「医学部の学生が授業で使用しているものです」と説明してくれ私達体育学部の学生はその遺体の内部を観察するのが授業内容なのでした。それでも初めて見る解剖人体に「すごい」と興奮してしまうのでした。(^_^;)

 教授は初めに両開きの窓を開けるように胸を開きます。中は空っぽでした。「ここに肺、心臓はこの位置にあります。」指を指して説明をしてくれます。そして台の下に手を入れると大きな物を取り出しました。「これが肺です」よくレントゲン撮影の用紙に書かれているものと同じ形でした。
 そうなんだ・・。グレーのその塊を教授は二つに割って中をみんなに見せます。ところどころ黒い色が固まっています。「この遺体の方はタバコは吸っていなかったそうです。でも長い年月には肺も汚れてしまうんですね。タバコを吸っていたらもっと汚くなります」その説明が実感を持って理解できました。
 そして説明はだんだん下部の方へ移ります。教授は何かの部位の説明をしますがその部位が見つかりません。「あれこの辺だけどなあ」と言ってお腹の中に詰まっている物がじゃまな様子でした。すると突然腸をずるずると引っ張り出したのです。私は目が飛び出しそうでした。女の子達は「きゃー」と言って離れていきます。
 なんか胃のあたりがむかむかしはじめました。教授は「あーこれだこれだ」と言って指を指します。さすがに見たいという気持が少し薄れてきてしまいました。その後腸をクルクルと巻いてお腹の中にすぽんと入れるのを見て人間て死んだらこんなになっちゃうんだとどっと気持が重くなりました。
 実習は続きます。腕の中を見ました。筋肉の束がいくつも重なってあります。その中に白っぽい筋がありました。神経だそうです。こんなに太いんだと感心しました。教授が筋肉の束を引っ張ります。すると指が動きました。頭では理解していることなのですが遺体が生き返ったように感じて不気味でした。(^^;)
 



            




                              
   S63(1988).6

   解剖学実習

 「来週は解剖学実習を行いますので大学病院の1階ロビーに10時に集合して下さい」教授の連絡に教室はどよめきました。本物の人体の解剖が見られると思うと不安と興味が心の中でせめぎ合います。学生達は声高に話をしながら教室を出て行くのでした。
 当日少し早めに大学病院に着くと人がたくさん行き来しているロビーで待ちました。新しい建物はどこもピカピカで白く衛生的でした。しばらく待つと学生は集合しました。
 そこへ白衣を着た教授が来て学生の集合を確認すると地下の階へみんなを連れて行きます。階段を降りていくと人通りが突然なくなり静かでひんやりした様子になりました。がやがやしていた学生達はだんだん無言になっていきます。プレートに解剖学実習室と書かれた部屋の前に立ちました。緊張が高まります。
 ドアをギーと開けると(本当は新しいので音はしませんがなんとなくそんな雰囲気でした)みんなは一斉に中を見ます。中には灰色のロッカーがたくさん並んでいました。「なんだ」とどこかで声がします。みんな同じ思いだったのですね。教授が「各自ロッカーの中に入っている白衣を着て靴を履き替えて下さい」と伝えます。ここで着替えていよいよ解剖学実習となるのでした。
 着替えた私達はロッカー室の奥のドアに向かいました。そしていよいよそのドアが開くと、強烈なホルマリンの臭いがしてきました。思わず「臭え」とつぶやく仲間がいます。緊張が一気に高まりました。私達はコンクリートの床に下駄の音をさせながら中に入ります。入ったとたんひんやりとした空気に触れ、ホルマリンの臭いと共に違う世界に入ったような違和感を感じました。
 その部屋は小さな体育館ぐらいの広さで太く四角い柱が何本も立っていました。壁際にはガラスケースが立ち並び奥の方に滑車のついた台車ストレッチャーが何台も並べてありました。そのうちの数台にはグレーのシートが掛けられそのシートはふくらんでいるのです。
 教授がそのストレッチャーのシートの端を持ち上げて中を確認しています。そして1台のストレッチャーを押してきて私達に前に来るように言いました。私と友人は興味津々でしたので一番前に並んで立ちました。「このご遺体は医学の発展のために提供して頂いたものなのでみんな手を合わせましょう」と一緒に手を合わせ感謝をしました。