高校に進学したとき体操部に入りました。あまり活発ではなく少人数での部活動でした。練習場所は玄関のホールや外の中庭でした。コンクリートの上に立てられた鉄棒や吊り輪での練習、玄関ホールのタイルの上にマットをひいて行う床運動の練習などあまり良い環境とはいえませんでした。
 危ない話ですが、ある日ロイター板を使用して伸身の宙返りを行っていた先輩の足が天井の梁に触れて落下することもありました。でも部活動では合宿も行い仲間と楽しく過ごすことができました。
 あるとき顧問の先生が日体大へ練習に連れて行ってくれ日体大体育館での練習を見ることができました。その時山下選手の「山下跳び」を目の前で見ることができました。着手の後、大きく空中に浮かび上がる姿を見て本当にびっくりしました。これが金メダルの跳馬なんだと感動したものです。
 また練習の途中にある学生が「今日はもう帰るね」と友達に声をかけて帰って行く姿を見ました。誰も止めません。遅れて練習に参加する学生もいます。しかし頑張って練習する選手にはコーチ達が集まるようにして指導するのです。自分の意思が大切なんだと思いました。



 私は大学の体育学部に進学しました。体操部に入ることを希望していたのですが、入部するとき1年生は1年間寮に入らなくてはなりませんでした。私の父は電気店の経営をする事が夢で、私には電気関係の学部に入ってもらい将来二人で店をやっていくつもりだったのです。私は父の期待を裏切ってしまい、さらに入寮の費用まで負担して欲しいとは言えませんでした。
 私はアルバイトをしながらやっていけるワンダーフォーゲル部に入りました。しかしこの部での活動は自然の中で活動する楽しさを教えてくれ、その後の生き方に大きな影響を与えてくれました。
 卒業後、教員採用試験に合格し中学校で働くこととなりました。そこでは体操部を受け持つことになり私は再び体操と出会ったのです。









        
                        
   S53(1978).9

  体操との出会い

 昭和39年(1964年)10月10日東京オリンピックが開催されました。アジア地域での初開催であり、敗戦後の日本復興の象徴となったオリンピックでした。テレビもようやく普及して多くの人がオリンピック観戦をテレビで見ることが出来るようになりましたが、まだ白黒テレビだったように思います。(^_^;)
 それまで体操競技を見ることのなかった私は遠藤幸雄選手の個人総合優勝や団体金メダル、吊り輪の早田選手、跳馬の山下選手の金メダル獲得、そして表彰台に上った選手達を見て感動しました。なんてすごいことができるんだろう。世界で一番になるなんて。私はすごいあこがれをもちました。早速家の鴨居にぶら下がって脚前挙をしたり、タンスを背に倒立の練習をしたりしました。



 しかし当時は体操部や体操クラブは身近になく指導を受けたり練習が出来る場はありませんでした。中学生になった時にも体操部はなく、他の部活に入っていました。でも体操が好きな仲間がいて今で言う同好会のような集まりを作りました。1冊だけあった体操競技指導本をみんなで見ながら砂場でバク転の練習や、校庭の鉄棒で車輪の練習をしていたのです。
 私の中学校では体育祭の昼休みに有志による体操の発表会がありました。私は一時的に集められた仲間と共に練習をし、当日校庭でマットと鉄棒の発表を行いました。普段練習していた校庭の鉄棒は太い鉄棒なので思うように車輪の練習ができなかったのですが、体育祭で立てられた鉄棒は細くしなやかでとてもやりやすかったです。私は初めて多くの人が見ている前で車輪を演技することができました。その日は本当に興奮し感動したことを覚えています。
 私の車輪演技です。