4月5日いよいよ入学式です。午前中に始業式があり新採用や転任者の紹介がありました。そして在校生には担任の発表がありました。学級担任の名前が呼ばれるたびに生徒達の中には歓声があがります。中には悲鳴が聞こえた先生もいます。私は将来生徒がどんな反応を示す先生になるんだろうと考えとても楽しかったです。

    


  午後入学式がありました。新一年生が教室に集まってきます。生徒は一度教室に集まり担任が引率して入学式会場に入る事になっています。学級数は14組もありました。3学年で40学級を越える大規模校です。私は12組、生徒の顔が可愛くて思わずほほえんでしまいます。自己紹介などは入学式の後に行います。入学式で先生方の紹介が行われたとき、自分はこれから教師として自分のクラスとともにやっていくんだと気持が引き締まりました。
 入学式が済み学級に戻ると子供達は緊張した面持ちで席にきちんと座ります。休憩の後、あらためて自己紹介をしました。教師1年目でみんなと同じ新入生である事を話すと子供達の顔にほっとしたような笑顔が見られるようになりました。これからの目標については自分に言い聞かせるように私は話したように思います。子供と一緒に中学校で育っていくんだという気持でした。
 その後は先輩の先生から確認しておいた中学校生活の過ごし方、明日の準備などメモ帳を見ながら話しているとすぐに時間になってしまいました。保護者の皆さんが廊下などに来ています。その姿を見てこの人達のお子さんを預かるんだなあ、先輩の先生が話してくれたように保護者の皆さんに応援してもらえるような教師になれるように頑張ろうと心に誓ったのでした。










         
                        
   S53(1978).4

 スタートライン

 昭和53年(1978年)4月私は中学校教師としてスタートを切りました。4月1日に緊張をして学校へ行くと校長室に集まった新人は9人もいました。他校から転勤の先生方も含めると20名近くの入れ替えになりました。後で知ったことですがこの人数は大変多くて、その頃から市内全域で活発な移動が行われるようになったとのことでした。
 校長室で私は1年生の担任を受け持つことを知らされました。一気に緊張の度合いが高まりました。中学校の様子も知らず、担任の仕事も分からないまま、あと4日後には受け持つ子供達が入学してくる。本当にパニックでした。職員室で先生方との挨拶が終わり、学年会で入学までに行う準備、入学後の行事の準備、保護者会の資料作りと次から次へと指示されますが頭の中は大混乱です。



 私達新人は先輩の先生の行っている準備を全てまねをしました。初日から夜9時近くまで残って仕事をこなすのですが終わりません。印刷物一つとってもこの頃はガリ版という明治時代に考案された印刷の手法でした。ろう原紙をやすり板の上に載せそこに文章や絵を書くのです。
 何も持っていない私達は学校にあった道具で書き始めるのですが、途中でろう原紙が破れたり字を間違えて修正液を垂らすと隣の字が消えてしまったり悪戦苦闘でした。明治時代と違うのは手回しの輪転機が有り、印刷が少し速くなっていることでした。私達新人は先輩の先生の濃淡を浮き出させて美しい印刷物を見てただただため息をつくのでした。    (-_-;)
 学級作りも大変でした。室内を清掃し机や椅子、ロッカーに名札を貼ります。掲示物の準備、黒板には入学おめでとうの文字や飾りを書きました。チョークで背広が汚れているのにも気がつかないほど夢中になって準備に追われました。毎晩遅い帰宅に母が先生はいつもこんなに遅くまでやってるのと気遣ってくれました。
 教員の春休みは始業式の準備に追われます。その追われる中で自分がどんな学級作りをしたいのか子供達とどのように接していくのか気持を新たにしていきます。本当に大切な時間なのですね。