宵闇(よいやみ)がせまり町には地方(じかた)の唄や三味線、胡弓(こきゅう)の音色があちらこちらで響きます。踊りにも熱が入ってきました。町内の通りにはあふれんばかりの見物人が通りの端に陣取ります。特に日本の道100選に入っている諏訪町の通りは大混雑です。



 いよいよ諏訪町のグループが入ってきました。たくさんのフラッシュがたかれますが先行する世話人がフラッシュをたかないでとか光量を落としてと注意していきます。長い間待っていた観客の前に町流しのグループがやってきました。女性の幻想的で優美な踊り、ダンと足踏みするなど力強さも見られる男性の踊り、その間に小さな子供達も上手に手足を演奏に合わせながら踊っていきます。地方(じかた)の演奏も哀愁をおび夜の闇とともに素敵なムードとなりました。







 おわら風の盆は11時で終了します。しかしその後、踊り足りなかった人や踊りに参加できなかった人たちが地方(じかた)の人とともに深夜の街に繰り出し踊るそうです。さすがに深夜ともなると観客は少なくなりますが、自分たちのおわら風の盆を楽しむ町の人はこれが本当の姿と言って踊りに陶酔(とうすい)するそうです。

 私たちは残念ながら駐車場の時間もありその時間の踊りは見られませんでしたが、一部年配の方々が小さな輪を作って踊りをしていました。これが自分たちのおわら風の盆なのですね。その近くでは若いグループの踊り手である浴衣を着た娘さんが自分のおじいちゃんやおばあちゃん達の写真を携帯で撮っているのでした。
 本当に素敵なおわら風の盆でした。







        
         
 昼食にお店でそばを食べていた時です。急に人が多くなりました。雨はまだ降っていて高山本線も運行停止中という情報だったのですが大勢が見学に来たのだと感じました。そういえば町中でお話しした地元の人は「(雨が)上がってやれるかもしれないなあ」と雨が降っているのに話していたのを思い出しました。

   

 でも私たちは半分あきらめながら桂樹舎(けいじゅしゃ)・和紙文庫の見学に行きました。八尾は越中和紙の生産や販売を行っていた町で八尾和紙は強度が強く加工製品に使用しやすいことで有名です。越中富山の薬売りのカバンにも使用されました。桂樹舎には展示室があり紙製品や歴史が紹介されていました。ここには喫茶室もありくずきりなどを食べて休んでいるといつの間にか外には陽が差しているではありませんか。これはやれるぞ!期待が高まります。

 八尾町内は交通規制がされていて車では入ることも出ることもできなくなります。私たちは少し離れた専用駐車場に車を移動させ、シャトルバスで再び八尾町の中に入りました。すでに始まっている町流しが見られました。







 町流しは11ある町内をそろいの着物で地区を変えながら踊っていきます。それぞれのグループには子供達がたくさんいます。以前は25歳までと決められていた制限も最近は未婚であるとか30歳ぐらいまでとかに代わってきています。若い人が少なくなり、次代の踊り手を育てるためにも多くの子供達の参加が必要となりました。
 ここで育つ子供達は早いうちから踊りの輪に入るためおわらの唄と囃子(はやし)が身にしみています。そのことでおわら風の盆の踊り手や地方(じかた)と呼ばれる演奏者や唄い手として誇りを持てるようになり郷土を愛する気持ちも強くなっていくのでした。
           




 



  明けて1日の朝も雨でした。富山県には大雨洪水警報が出ています。私たちの表情も曇りました。(-_-;) でも踊りだけは見たかったのでステージでの踊りが見られる曳山(ひきやま)展示館の風の盆ステージチケットを当日手に入れたのでした。
 午前中は傘をさして町中を散策します。曳山展示館にはもう一つのお祭り曳山祭(ひきやまさい)で使われる曳山が展示してあります。私たちの町では山車(だし)と言いますが豪華絢爛(ごうかけんらん)でこの町が裕福であったことが分かります。実際に展示館には蚕(かいこ)の展示ホールもありました。八尾は当時養蚕(ようさん)が盛んで全国に蚕の卵を出荷していたそうです。



 京都の祇園祭に曳かれる山鉾(やまほこ)のように素敵な曳山は富山県には数多く、大小20を越える曳山の祭りがあるのでした。この八尾町では6基の曳山が毎年5月3日に繰り出されるそうです。

 おわら資料館にも入りました。おわら風の盆は江戸文化が花開いた元禄年間に始まり300年の時を経ています。一部遊芸に秀でた人たちの文化だった踊りを大正期から昭和期に町の同士が集まり「おわら研究会」を発足させ変えていきました。
 おわらに歌われる民謡の歌詞は古来より多くの人に作られ伝えられてきましたが、研究会は古典を残しながら新しい歌詞も作り出す活動をして広く親しまれるようにしました。
 また踊りの工夫もして郷土の人々が取り組みやすく、かつ日本に誇れるような芸術性の高いものにしていきました。広報活動も力を入れ、全国の有名な文化人を八尾に招きおわらの作詞をしてもらったり、日本の人々に知らせてもらえるようにお願いしたりしました。中にはそのことで個人の資産を使い果たすまで傾倒した人もいたそうです。こんな努力のおかげで現在では3日間で20万人を越える人が集まるお祭りとなりました。


       








              
                        
   H30.9

宵闇を踊り流す
   
 
 二百十日の初秋の風が吹く頃「おわら風の盆」の幕開けです。宵闇(よいやみ)に涼しげなそろいの浴衣(ゆかた)、編み笠(あみがさ)の間から少し顔をのぞかせたその幻想的で優美な姿が三味線や胡弓(こきゅう)の響きにあわせて町を踊り流していきます。
     
 

 そんな文や写真に魅(み)せられていつかおわら風の盆には行きたいと思っていました。しかし毎年9月1日から3日に行われる祭りのため新学期が始まる慌ただしい時には行くことができなかったのです。
 前年この町にお土産のお酒を買うために立ち寄った酒屋さんで踊りは1日を待ちきれない人たちが31日を過ぎる0時から町中で踊り始めるのでそれはおすすめですよと教えてくれたのです。私たちはすぐに近くのホテルの予約を取りましたが、1日・2日はすでに満室になっていてとれませんでした。でも31日が予約できたので翌日は富山駅前にホテルをとりいよいよ見学できることになりました。
 平成30年8月31日、私たちは風の盆の開催地である富山県の八尾(やつお)町に入りました。この日は大雨となっていて近くを走るJR高山本線は運行できなくなっていました。ホテルの窓から何度も空を見上げて夜を待ちましたが、残念ながら雨はやまずにこの日の踊りは中止となりました。しかしあきらめきれない私たちは0時を過ぎた町に行き、少しでもその雰囲気を味わおうとしたのでした。