職人かたぎ譚 
中野孝次著「光るカンナ屑」(小学館)より

連載 その8.

 手仕事の職人たちははるかに自然に対して畏敬の念を持ち、謙虚であった。物から学ぶことを心得、また物を作りだすことの難しさをからだで知っているから、理屈ばかり言い張ったりしなかった。そしてそういう無名の職人の手堅く作った家や道具や品物によってわれわれの生活は安らぎと潤いを得ているのである。工業の発達した欧米でもhand-madeという言葉は、上等なもの、念入りに作られたもの、よい品を意味する。自分たちの身の回りが全部工業製品ばかりに占められていたら、われわれの生活はどんなに味気なく貧寒たるものになっているであろう。
 人間が生きてゆくためにはそうたくさんのものが必要ではない。日常必要な道具や品物は限られている。だとしたらそのわずかな物だけは自分の気にいった最高のものだけにし、それを大事に使えば、使い捨てをくり返すより毎日の暮しはよほど豊かなものになるに違いない。(中略)
 幸田文(露伴の娘)の『月の塵』という随筆集に、「一生もの」という文章がある。
《一生もの、ということを昔はよくいいました。
 一生をかけて大事にするもの、一生をかけて長く使うもの、といったようなことなのですが…》
 そんな書き出しで、女の人なら髪飾り、指輪などから着物なら結城といったものになることが多いが、「なにしろ一生ものにする気なのですから、それらを入手するときは、品物はためつすがめつ、満足のいくまで選み、その代わりお値段のほうはだいぶ無理がいっても、清水の舞台から飛んでしまうわけになります』という。そして知人にときおりそうやって手に入れた結城の着物を着てくる人がいるが、そのときはふだんよりずっと女っぷりがあがったと幸田文は書く。
 水晶のお数珠を一生ものにしている人もいれば、注文で作らせた象牙のへらを大事にする和裁のお師匠さんもいた、と書く。(中略)
 幸田文はつづけてこう言っている。
《道具というのは、この点が強いと思います。おじいさんの代から客用に使ってきた堤煙草盆など、父を経て、今三代目の応接間に、三代かけて拭きこんだ渋い艶をみせて、ばっちりと置かれていれば、和洋だの新旧だのを越えて、よく納まっています。 
 道具というものは、人の役に立ってきた、という力があって強いのだと思います。こうなると一生ものなどは、まだまだ縁が浅い。三生も四生もかけての丁寧な、人と物とのつきあいの厚さが胸をうってくるじゃありませんか。》(中略)
 柳宗悦は生涯かけてそういう人間生活の伴侶となる品々を捜し歩いた末、最後にこういう結論に達した。
《美が厚くこの世に交わるもの、それが工芸の姿ではないか。味なき日々の生活も、その美しさに彩られるのである。現実のこの世が、離れじとする工芸の住家である。それは貴賎の別なく、貧富の差なく、凡ての衆生の伴侶である。これに守られずば日々を送ることができぬ。明日も夕べも品々に囲まれて暮れる。それは私たちの心を和らげ用との贈り物ではないか。》(『民芸四十年』(工芸の美)岩波文庫)

「光るカンナ屑」の連載はこの回でひとまず終了します。
ご愛読ありがとうございました。
近々新しい連載を始めますのでご期待ください。

<次の連載へ><戻る> <トップへ>