<“木のまち”木場に隣接する住宅街、マンションの6階…> やって来たのは、江東区南砂1丁目、woodwork NAGAOの工房は、住宅街のマンションの6階にあった(現在は独立工房に移転)。“木のまち”木場は目と鼻の先、ここが、「サイズもデザインも思い通りに作ってくれるムクの木の家具」の舞台裏だ。長尾さんは自ら主宰する木工塾の若い人達といっしょに、毎日ここで作業をしている。 <「木工をやりたい!」熱い思いからスタートしたが…> 長尾さんは元コピーライター。広告代理店に勤めるサラリーマンだった。30歳を過ぎた頃、「サラリーマンには向いていない」と思い始めたそうだ。その時、ふっと湧いてきたのが、「木工をやりたい」という思いだった。 九州は大分県、九重山麓で生まれ育った団塊の世代、高度経済成長の最先端を走る仕事をしながら、子どもの頃走り回った山の木々や、幼い日に遊びに行った近所の大工さんの作業場の木材の感触が、仕事のストレスを癒す思い出として長尾さんの胸に去来していた。 そして、ついに33歳の時、長尾さんは会社を辞めた。生活費はフリーのコピーライターで稼ぐことにし、「昼は木工、夜はコピーの原稿書き」という生活を目論んだのだという。 ところが、折しもバブル期、後から後から入るコピーライターの仕事に追われる毎日となってしまった。結局7年間くらい、木工に入れないまま過ぎた。 <バブル崩壊はチャンスだったか?> こうして忙しく過ごしていたが、ある日パッタリとコピーの仕事が来なくなった。バブル期の終焉である。当時、お子さんもまだ小さく、収入の道を確保しなければならなかった長尾さんは、もう一度サラリーマンの道を選んだ。 就職先は、コンピューター関係の会社。パソコンやインターネットが普及し始めた頃である。慣れないコンピューターの仕事は、大きなストレスとなり、ついに体を壊して退社するはめとなった。 <やっとたどり着いた木工三昧の日々> 余儀ない退職だが、これをきっかけにかねてから希望の木工への道に立ち戻った。既に40歳を過ぎていた。長尾さんは木工の技術を身につけるために、職業訓練校の木工科に行くことにした。ところがここで長尾さんの前にたちはだかったのが、年齢制限の壁。当時、長尾さんが訪れた職業訓練校では、木工科の入学資格は「35歳以下」であった。 年齢ばかりはもとにもどれない。チャンス到来も、時既に遅し。途方に暮れる長尾さんに、訓練校の人が勧めてくれた。「『DIYアドバイザー科』なら、40歳以上の方が対象だから入れますよ」 この科は、ホームセンターやDIY店の店頭で、技術指導や加工をする人を養成する科で、木工や住宅リフォームが中心のカリキュラムが組まれていた。長尾さんはここに入学して、木工生活の第一歩を踏み出した。この学校で講師をしていた指物師・山田一彦氏(江東区無形文化財指物師)と出会った長尾さんは、その後も彼を師と仰いでいるそうだ。 <woodwork NAGAOの多難な出発> こうして技術を身につけ、工房を開いたものの、そのことを世の人は知らない。知らせなければ客は来ない。客が来なければ木工作業もできない。長尾さんは「注文を受けて使う人に合わせて家具を作る」ことにこだわっており、注文が来ないことには動きがとれない。 そこで考えたのが、近隣のマンションへのチラシ作戦。自作の宣伝文句(お手のモノだ)を5000枚印刷。これを、毎朝、新聞配達の後について歩き、ドアポストに入った新聞の間に滑り込ませた。「勝手に折り込みチラシ」である。だが、反応は5000枚配ってわずかに2件。 <お下がりのパソコンが大活躍> これでは話にならない。そこにちょうど、岳父さんからお下がりのパソコンをもらった。「そうだ、インターネットという手がある!」 長尾さんは、さっそくお下がりパソコンを修理してインターネットに接続した。そして、苦心してホームページを作り(なんと第1作は3週間かかったとか)、工房の存在をweb上にアピールした。 これが大当たりだった。ぽつぽつと反応があった後、ホームページをアップして半年くらいでお金になる仕事が来るようになった。まさにITの力! 「ムクの木で使う人に合わせた家具を作る」ことの魅力が、インターネットで伝わったのだ。 <木工駆け込み塾の誕生> インターネットによって増えたのは、注文だけではない。「木工をやりたい」という若い人たちからの問い合わせも多く来た。長尾さんは考えた。「若い人が働きながら木工を学ぶ手段がないんだ」。自ら木工を愛する長尾さんは、今度は若い人を指導する「木工駆け込み塾」を作ってしまった。 ここでは、塾生は長尾さんが注文を受けた家具をいっしょに作りながらOJTで学ぶ。もちろん、全くの初心者は制作中の家具に触れる前に厳しい基礎訓練を経る必要がある。「木の表面をカンナでまっすぐに削る」「角を直角にする」ということができるまで何か月もかけて練習することから始めるのだそうだ。「頭でわかるだけではダメ。頭でわかっていることを手が実現できることが大変なんです」と長尾さんはニコニコしておっしゃる。極意デス。 <注文から納品まで> 「こんな家具が欲しい」というお客さんと会い、寸法、形、デザインを話し合い、見積り、図面作成、木材費相当の内金をもらい、制作、納品、という手順で進む。ムクの木のオイル仕上げ。木の本来の色から濃いめの茶色まで4段階の色がある。木材も、木場が近いので、長尾さんが案内して木を選びに行き、お客さんが購入した木を使って加工代だけもらう、という方法も可能だという。 これまでに作った家具のなかでは、「大きいお父さんの椅子」「台所仕事のとき疲れたらちょっと腰掛けられるキッチンチェア」など、シニアや高齢者の要望に合わせたものもあるが、どちらかというと若い人の方が木の家具の魅力に敏感だそうだ。 <しっかりした椅子は住宅の高齢化対応の第一歩> しかし、シニアにとって、これからの高齢期に向けて住宅を整えるためには、長く使えるしっかりした家具は大切な要素だ。 「リビングには軟らかいソファがいい」と言う方も、安定のよいしっかりした椅子を玄関や出入り口に置くことは、足腰膝が弱ったときにとても有効。ホンモノの良さが解るシニアの皆さんなら、ムクの木の贅沢を解って愛用してくださるに違いない。 ▼woodwork NAGAOのホームページはこちら http://kanto.me/studio-nagao/ ▼工房の地図はこちら |