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盤上遊戯 ― 囲碁散歩 ― その1 |
囲碁とは「碁を囲む」ゲームです。(第2号<囲碁の本来の意味>)でふれた駄文につづけてみます。 まず「囲碁」という文字をとりあげてみましょう。漢和辞典には、「囲(圍)」とは、かこむとあり、漢音呉音ともにイ(ヰ wei)です。囲の本来の字は圍であり。圍をよくみると内部にヰの文字がはいっています。 「碁」とは「棋や棊」と同じとあり、おそらく棋子(中国語で盤上遊戯に使うコマや石などを指すゲーム用語)が石や木で作られていたからでしょう。「其(キ
=漢音、ゴあるいはコ=呉音 qi、ji)」で音を表したと思われます。 渡辺英夫「中国古棋譜散歩」には囲碁という文字はなくすべて「囲棊」と表記されています。江戸時代の囲碁関係の書物にも囲碁はあまりなく「圍棊」が多くみられます。 将棋につても同様、「将棋」よりも「将棊」のほうが一般的でありました。 中国はどうかというと、「囲碁(イゴ)」はなく、すべて「囲棋(標準語でウエイチー weiqi)」です。現在棊の文字はなくすべて棋に統一されています。 ちなみに、北京にある「中国棋院」は囲碁ばかりでなく、チェス、象棋、連珠などを含む盤上ゲームを対象とした正規な組織です。院長は陳祖徳氏(囲碁9段、病気のため若くして棋士を引退)。 ではなぜ、日本では「囲碁」または「碁(ゴ)」という文字が使用されてきたのでしょうか。まだ謎です。 ちなみに呉(くれ)は漢音、呉音ともにゴ(wu2声:日本人にはむずかしい発音)です。 さらに碁石(ゴイシ)という用語があります。もしかすると呉国(ゴのクニ)からもたらされたゲームに使う石のことをさしていたのかもしれません(これは全くの当て推量ですが)。なぜこんな推量をもちだしたかというと、碁石は五目(ゴモク)並べに使う石であるから「ゴイシ」とよばれたという異説もあるからです。 中国では昔から「五子棋 wuziqi」という五目並べに似たゲームがあり、現在も多くの人が遊んでいます。五(wu3声)はゴであり。呉と似た発音です。このwuという音は日本語になくゴと聞こえてしまうのでしょうね。 韓国にも「五目:オモクと発音)」があります。欧米では"GO”が一般的です。これは日本の碁がまず海外に普及したためです。たとえば、昭和初年、鳩山一郎氏によるドイツとの電報囲碁対局が有名です。 最近、日経の文化欄の記事で稲作の伝来が韓国経由か南方の海上ルートなのかの両説があることを知りました。稲作やその他織物の技術などが南方から朝鮮半島を経由しないで直接伝わってきた可能性もあることです。呉服や呉竹というように呉(ゴまたはクレ)という文字をみると日本の各種文化のルーツになにか関連があるような気がいたします。黒潮などの海流はさまざまなものを日本列島に運んできたにちがいありません。 ― 囲碁散歩 (2) ― ・囲碁のルール ぼくもこの格言の重要なことは理解しているつもりですが、自分自身この意味するところを実践できているかどうか、まったく自信がありません。 さらにある中国人の棋士から、囲碁が発祥した中国では地という概念がないと聞き驚きました。 最近囲碁の歴史についての研究が進み、国際的対局が増えるにつれ、両国の勝敗判定方法が本質では大差ないことがわかってきています。それにしても、地という概念の有無によって囲碁ゲームに対する対局者の意識になんらかの相違が生じているはずです。 中国人は戦いに強いとよくいわれています。昔からの事前置石制(開始に先立って白黒それぞれ2子を配置しておく)のルールによる戦い重視の伝統が残っているからでしょう。そのあたりをゲーム用具である囲碁の盤と石(棋子または棋物と総称される)から考えてみます。 ・囲碁の盤 囲碁の盤は碁盤といい、四角な盤にタテヨコそえぞれ通常19本の線(罫線)が引かれています。最近は9路盤(9本の盤)や13路盤も使われています。小さな盤ですと勝負が早くつくのが利点です。とかく19路の盤では時間がかかります。気軽にゲームというわけにはいきません。前記の囲碁規約には19路を使用すると規定されていますが、これにはやや疑念があり、ローカルな対局規定とすべきでしょう。 19路でなくても囲碁は囲碁です。囲碁は19路で行うゲームというのが半ば常識化され、初心者からも9路盤対局が好まれない風潮があります。恐らく9路盤は本当の囲碁ではないと感じているためでしょう。 「日本囲碁規約」ではプロのための規約であるとされ、アマのための規約ではないことが謳われています。いつまでもプロアマを厳密に区分していては時代の流れに対応できなくなります。 最古の碁盤と思われる石の盤が中国で発見されました。その盤はグラビアの写真でみると13路および14路の罫線が縦横に刻まれています。どのようなルールで遊ばれたのかはまだ解明されていません(資料:醍醐味)。また17路盤は古来から使用され、現代でも使われているところがあると聞いています。 1959年、来日したシッキムの王子が持参した17路盤を使用したチベットルールによる日本の棋士との対局記録が残っています。その対局ではコウに関する面白いルールが適用されています(資料:中国古棋譜散歩)。 ぼくはミニ碁と称した15路盤で対局したことがあります。19路とあまり違和感がありませんでした。プロ棋士による7路盤や8路盤の研究もあります。9路盤の対局は数年前から関西のテレビ局で放映されており、米国研究者による9路盤対局の棋譜データベースまでができているとのことです。 先日、囲碁を知っている盲人とこちらも目をつぶって盲人用9路盤で対局してみました。手探りで着手した石の確認をするのですが、数手でアタリやツギもわからなくなり囲碁になりませんでした。目をつぶっても打てると多寡をくくったのが間違いでした。9路盤(交点81)などは盲人にとって手ごろなゲームと思います。しかし問題は盤や石(=コマ)の製作費用が高く、スポンサーが尻込みしているとのことです。 囲碁の着手は罫線の交点に石を置くと定められています。現在ごくあたりまえのこととみなされていますが、石をマスメに置くことも考えられます。一般的に将棋やオセロゲームのようにマスメにコマを配置するほうが自然ではないでしょうか。マスメに着手しても囲碁の本質は不変ですし、対局は可能です。 古代の囲碁はマスメに石を置いたかもしれないと、平本弥星六段は著書「囲碁の知・入門編」で述べています。更に6角形のマスメの囲碁盤もあります。あたかも蜂の巣のような盤面ですが、石をマスメの中に置き通常の囲碁のルールで対局が可能です。1個の石をとるのに石を6個必要とします。 "gobang"という単語がThe Oxford English
Dictionary(1989)にあります。日本のゴバン(go-ban
棋盤)または、それで遊ぶゲームのことであり、ゲームとは「五目並べ」(先に5個コマを並べたほうが勝ち)と説明しています。なぜ辞書にのるまでに至ったのかはまだ不明です。日本の商社員が持ち込んで広めたという説があります。 *参考文献: ― 囲碁散歩 (3) ― ・碁石 囲碁は白黒二色の石(棋子)を用います。日本では黒は那智黒といって石ですが、白は大型ハマグリの貝殻を加工して石と称していました。碁石の数は碁盤の交点の数と同じ361個(黒181、白180)。碁盤と碁石を揃えるとかなり高額となります。 黒石は比較的安価ですが白石となる日本産のハマグリは採り尽くされ貴重品となってしまいました(現在はメキシコなどから輸入)。プラスティックや硬質ガラスの碁石が商品化される以前、一般の家庭で購入するのは難しかったと思います。 昭和25年(1950)、中学に入学し、同級生に囲碁のルールを知っているものがおり、数人で見よう見まねで始めました。まず用具をそろえなければなりません。碁盤は適当な厚板を削り線を引けば出来上がりですが、碁石には手こずりました。 ハマグリのものは小遣いではムリ、幸い安価な竹製品や焼成土製品が発売されましたので買ってみました。しかし、竹は色が紛らわしくしかも軽いため対局中に動いてしまいます。また、土製品は手に色がついたり、強く打つと割れてしまいます。さらに安いがもろいガラス製品もありました。これはまだ硬質化技術がなく、強く打つことができません。勝負に熱中してくるとつい激しく碁石を盤に打ちつけてしまい、やはりハマグリにはかないませんでした。 したがってやや高価であっても薄手の(ふくらみがほとんどない)ハマグリ製品を使わざるを得なかった思い出があります。その後プラスティックや硬質ガラスがでまわり普及していきました。当時、パチンコもなく娯楽の少ない時代、囲碁将棋は手軽な遊びとして存在したようです。学校の宿直室では先生方の囲碁を楽しむ姿をよくみかけました。 現在でも碁石を揃えるのに苦労している囲碁ファンがおります。それは欧米や南米です。日本や中国からの輸入ともいかず、ボタンやそれに類するものを工夫して碁石としていると聞いたことがあります。白黒同じ形と重さで碁石として製作するには成形させるための型が必要で、その型の費用が大きいため充分な需要がないと商品にはなりにくいためだからでしょう。 「(日本)最古の碁石発見! 奈良県の古都、藤原京で発掘」と見出しの記事には、丸い自然石で、材質は黒石が黒色頁岩(けつがん)、白石がチャート・砂岩。色の区別は明瞭。大きさは直径15mm程度。7世紀末~8世紀始めに使用されていたとあります(週間碁)。ぼくは数年前福岡太宰府の遺跡の資料館で同様の自然石の碁石とみなされる展示品を見たことがあります。不ぞろいでしたがほぼ丸い形をしていました。 世界でも最高級品の碁石が日本の正倉院に現存します(正倉院展目録)。写真で眺めるだけでも素晴らしい芸術作品とわかります。目録から説明文を引用。 <染め象牙の碁石、直径1.6cm 厚さ0.8cm> 紅牙揆鏤碁子(こうげばちるのきし) 紺牙揆鏤碁子(こんげばちるのきし) 白と黒の碁石と同じように、紅牙と紺牙も一具の碁石として用いられた。 材は象牙で、これをふくら味のある、いかにもおおらかな趣の扁平丸形に 成形し、紅色と紺色の二種に染め分けたのち、いずれも揆鏤(染め象牙に、 はねぼりを施して文様をあらわしたもの)の手法で花食鳥をあらわしてい る。表裏同文。更に紅染めには白緑と黄、紺染めには赤と黄の彩色を刻文 中に点じ、華麗な碁石に仕上げている。 *参考文献: 「週間碁 1997.8.4付記事」日本棋院 「昭和57年正倉院展目録」 奈良国立博物館 1982年
・碁石(その2) 碁石の色は白と黒と決まっているようですが、正倉院の碁石は紅と紺です。どちらを上手が持ったとお考えですか? 囲碁と同様2人で対戦するゲームのチャンギ(韓国朝鮮将棋)では、紅と紺(青)の2色のコマを用い、上手(上級者または年長者)が紅のコマをとり、紺(青)が先手となります。紅老青( )といいます。まさしく青年(若年者)は青春という言葉どおり青色です。 五行説によれば、青は東・春にあたるとされています。紅老の文字からは還暦の時の赤いチャンチャンコが連想されます。そして、赤(紅を含む)は夏・南にあたります。 中国では古来から紅軍・紅旗とあるように赤(紅)が尊重されてきました。 では囲碁において、黒と白ではどちらが先手であったのでしょうか? 現代は世界的に黒が先手ですが、古代・中世においては通常白が先手であったことが文献上から明らかとなっています。 朝鮮と日本では一般に白色が尊重されています。一方、中国では白色(葬儀に使われる色)は好まれません。従って黒の方が尊ばれ、後手(上級者)が持つ色であったと考えられます。 江戸時代、名人・本因坊といわれる囲碁棋士は僧侶と同じく坊主頭であり、囲碁ゲームは仏教とともに伝来した可能性が高く、囲碁と仏教とは縁が深かったと思われます。 他方、囲碁盤(19路盤)と碁石を使用するゲーム:「五目並べ(連珠)」では、一般に黒が先手、しかし白が先手の棋譜も古書に残っており、必ずしも黒が先手とは限りませんでした(連珠世界/坂田)。 「五目並べ」ゲームは江戸時代、五石とか格五ともいわれいましたが、明治時代、連珠と名称を改め、盤を15 道盤に定めました。 囲碁や五目並べがいつ頃何処から日本に伝来したのか、まだはっきりしたことはわかりません。いろいろ伝えられている話はありますが、文献やそれを裏付ける証拠資料が不足している状況です。 <参考文献> つづく |